ちょう昔だけども面白そう その7

今じゃ考えられないけれど・・・・十朱幸代は本番の最中せりふを忘れ「なんだっけ」なんていったりしたが、セットの陰で泣いて「みんなに悪かった」とわび、役者根性を出し始めた。


番組は放送して1年後には人気が出て、昭和%年には第九回菊池寛賞を受賞、亀井墜郎、福原麟太郎、佐条茂索、佐多稲子など著名人のファンが多かった。


それは、芝居らしい芝居がなく、実在感のあるエッセー・ドラマになっていたからであり、チームワークの良さがヒットした最大の理由といえる。


そして、この成功が朝の連続テレビ小説を企画する基本となったそうです。

ちょう昔だけども面白そう その6

最初、当時、築地の銀座スタジオに中継車を持ち込んでの生放送、前の日にせりふをおぼえて毎日生放送が出来るかどうか不安だったそうです。


十朱幸代は高校1年の15歳から20歳まで出演し続けたが


「初めは女優としての自覚がなく、スタジオに遊びに行く気分で通った。出演者たちがいたわってくれ、家族以上の親しみを持った。この5年間の実践が現在の女優生活の中で大変役に立った」と彼女はコメントを話してくれたそうです。

ちょう昔だけども面白そう その5

前回の続きです(^o^)ノ


脚本家の筒井敬介も「青少年男女の付き合い方を知らせるインフォメーション・ドラマであり、普通なら教育局で作るのだが、それでは面白くならない。


そこで警局の子ども番組で当たっていた作家の私と須藤君のコンビが呼び出され、警局感覚のドラ蕃組にしさつとした。


それで高校教師の自宅とパーマネント屋を選び、若い男女が自由に出入り出来るように配慮した」と具体的に解説しました。

ちょう昔だけども面白そう その4

昔の話ですが、当時ラジオで「向こう三軒両隣り」がヒットしたように、テレビでも帯ドラマが出来ないものかという考えが芸能局の幹部にあり、もう一方ではティーンエージャーの家出が多かったので、その歯止めになるような内容を盛り込もうとしました。


館野昌夫ディレクターは「カリプソ娘の言動が話題になり、31年には1万2千人の少年少女が家出したので、若者を中心としたホームドラマを作ったらということになった。放送時間は7時のニュースが終わった7時15分から15分間の帯番組ということで、途中から土曜日までの放送となった」と、番組誕生の理由を説明してくれました。

ちょう昔だけども面白そう その3

こんにちは。またまた「バス通り裏」の話しです(´▽`)


そのほかの主な出演者では、十朱幸代の同級生で出演した岩下志麻、大森暁美、本郷淳、常田富士男、米倉斉加年、田中邦衛などが著名であり、昭和33年4月7日から38年3月30日まで5年間1395回続いたそうです。


33年5月にテレビ受像機の普及が100万台を突破。


街頭テレビ時代からの茶の間にテレビが入り込みはじめたころにこの「バス通り裏」はスタートを切りました。

ちょう昔だけども面白そう その2

「バス通り裏」

小栗一也ふんする高校教師・赤沢順平の家のセットは、ぼくの家をそのままそっくり使って書いた。


テレビのセットをどう考えたらいいかわからなかったからだ」と、当時の心境を告白してくれました。


小栗一也の奥さんに織賀邦江、その息子洋平に谷川勝己(のち宗方勝己と改名、長内美那子と結婚)、美容院の川田家には、武内文平と露原千草の夫婦と十朱幸代の娘元子がおり、五郎ちゃんこと佐藤英夫が全国から応募した4500人より選ばれたお嫁さん・蔵悦子と新居を構えました。

ショート・ショート的な

待ち合わせはホテル・クリヨンのバーだった。


コンドルト広場に面して威風堂々の構えのこのホテルは、団体客を受け入れるようになって少し格が落ちたと噂する人もいるが、それでも正面玄関の回転ドアを通り抜けて建物の中に一歩、足を踏み入れると、その荘厳さはやはり一流ホテルのものです。


左手にレセプショソ、右手にレストラン。


そのまま廊下を奥に進んだ左側に、この隠れ家のような小さなバーがある。


ホテル・リッツのバーだと、誰か知っている人に会いそうな感じがあるが、クリョンのバーにその雰囲気はあまりない。


つまり「お忍び」にはこちらの方がふさわしいということです。


マリーと私は、実際、まるでお忍びのような形でそのバーで再会した。


時は平日の昼下がり。


お茶という気分でもなく、またデスクトップ仮想化にも早すぎる時間であったため、私はペリエを頼んだ。


マリーの目の前には、既に半分くらいに減ったビールがありました。


「フランスで、しかも女性が真っ昼間からビールとは・・・」さらに驚いたことに、彼女はジーンズをはいていました。


ただし、ジーンズといっても、クリョンの泊まり客たちがヴァカンス中に身にうけるあの「カジュアルダウン」のジーンズ、メイドがアイロンをかけて几帳面にたたんだであろうジーンズではない。


それは下町の庶民たちが日常着として愛用するジーンズであり、若者たちが学校へはいていくジーンズと同類のものであった。


ほんの一瞬、彼女の場違いさに対して、恥じらいの気持ちを覚えたことを隠すまい。


同時に、自らの「正しい社会人」的な装いが、急に平凡で堅苦しいものにみえて戸惑ったことも。

ちょう昔だけども面白そう その1

「バス通り裏」

「小さな庭を真ん中にお隣の窓うちの窓いっしょに開く窓ならばやあこんにちはと手を振ってこんな狭いバス通り裏にも僕らの心が通い合う」と、中原美紗緒とダークダックスが歌った「バス通り裏」のテーマ音楽をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。


作詞した筒井敬介はこのドラマの脚本家であり、番組もこの歌にそっくりな日常生活そのものをブラウン管に再現したような内容だったそうです。


「バス通り裏」という番組名を付けたのは、筒井と毎週交代で脚本を書いた須藤出穂であり「ぼくのうちはまさにバス通り裏にあり、新興住宅地に住宅金融公庫からカネを借りて建てた。

その土地あの土地 その7

建設工事が行なわれていないところでも、痕は残っていました。

看板も、不動産事務所の人もとってるのですよ。

しかし、いま買っておきなさい。

それとも予約しておきなさ来年はもっと高くなりますよ、とすすめるのです。

伊豆の荒廃は、商社が値段を釣り上げるために、いかに土地と晶物を手に入れ、隠匿してきたかの数千例の一つにすぎません。

もっと深刻な悪例もあります。

しかし伊豆は美しいだけに、掠奪がいっそう痛ましい。

実践

こんにちは。

このところ、会社でリサイクルトナーを使っています。

どこがリサイクルなのか。それは容器なんですね。

トナーの容器って中身がなくなればゴミなんですよね。

廃棄されるわけです。

それをリサイクルしようと言うわけなんですよね、きっと。

話は変わりますがリサイクル繋がりで、いろいろなところでよく発表されますが、23区の職員を中心とする自主研究グループ、ソーラーシステム研究グループの研究成果というものがあります。

みんなで議論するなかからまとまっていったものです。

仲間にはいろいろなメンバーがいて、公園土木、私みたいな衛生、建築とか公害とかいろいろな人たちと議論したそうです。

溜めた雨水というのは資源として使えるではないか、防災用水としても使えるではないか、地下に戻せば地盤沈下の防止になるし、なによりも都市の環境の再生になるのではないか、そんなことに気がつきまして、トータルな総合雨水利用システムとしてまとめて、7年くらい前ですが世に問いたいわけです。

問うただけでなく、その後いくつか実践してきたようですよ。